「商いは高利をとらず、正直に良き物を売れ、末は繁盛」 大村彦太郎
白木屋の創業者・大村彦太郎可全は、寛永13年(1636年)近江長浜村の生れた。早くに父と死に別れ、近くのお寺の法山和尚について学んだ。彦太郎に商才のあることを見抜いた和尚の勧めで、京都で材木商をはじめ、やがて江戸に出た。
寛文2年(1662年)、27才で江戸日本橋通3丁目に新しく小間物店を開業。この年を白木屋の創業の年としている。三井高利が越後屋を開店する10年前のことである。同5年、通1丁目に移転。次第に呉服・木綿類を販売するようになった。白木屋の屋号の由来でもある。
白木屋の創業以来の精神は、「商いは高利をとらず、正直に良き物を売れ、末は繁盛」である。創業の志は、二代目・彦太郎安全の「宝永の御家式目」となり、さらに店員教育のために作られた「白木屋管店書」(独慎俗話)へと繋がる。
この書は、多くの商家で愛読されただけではなく、水戸烈公・徳川斎昭も賞賛したと伝えられている三井高房の「町人考見録」と双璧をなす名著とも言うべき書である。
「商売の道は、商いの多寡にはよらないとは言いながら、大口のお客様には自然と熱意がこもり、注意するから失敗も少ないが、小口のお客様にはともすると粗末な扱いをしがちである。商人の心得としては、まず小口のお客様をこそ大切にすることが肝心だ。それと言うのも、商家はどこからも年貢は上がってこないのだから、たとえ僅かな売り上げでも、それが一家を支えとなっているからだ。
ところが、とかく目の前のことにばかり気を取られるから、第一に売り上げの少ないお客様を侮り、第二にお使いに来た女性、子供を見下すから客扱いが粗末になるのだ。こうしたことは、自分のことを振り返って見れば分かることだ。買い物に行った時に、たくさん買う時には大きな態度で、強引に値切ったりすることがあるだろう。しかし、少ししか買わない時には、そんな態度は取らず先方の言いなりになるものだ。でも、先方の応対や挨拶について、帰宅した時に批判をするだろう。こうした気持ちは、店に買い物に来られたお客様も変わりはなく、店の応対について良くも悪くも話題になるものだから、世間の評判が良くなるようにしたいものだ」
「お客様こそが、毎日の命を繋いでくれているのだから、僅かしか買わないお客様でも自分の命を養って下さるのだと感謝すれば、お客様を粗末に扱ったり、不作法なことをなくなりお客様の印象もよく、良い評判を広めて貰えるものだ。だから、お客様に対しては買い上げの多寡によらず、丁寧に応対して、店の名を汚すようなことはしないか、暖簾に傷がつくようなことはないか、みんなで気をつけて貰いたいものだ」
といった店員としての心得が噛み砕いて書かれた内容は、今読んでも新鮮である。
明治以降、白木屋百貨店へと発展したが、経営不振により昭和31年(1956年)東急百貨店に吸収合併された。東急百貨店日本橋店として営業していたが、平成11年(1999年)1月31日に336年の歴史に幕を閉じた。
大村彦太郎(1636~1689)
白木屋の歴史は、大村彦太郎可全が27才で江戸・日本橋に小間物屋を開いたときに始まる。商才にたけた彦太郎は、やがて名うての呉服商へと転身。一代で莫大な富を築いた。明治以降は近代的な百貨店として繁栄を続けていたが、昭和31年、東急グループに統合。99年1月31日に旧・白木屋本店=東急百貨店日本橋店の閉店により、336年の幕を閉じた。
毎日の小口の売り上げを半期で集計すれば莫大なものになるのだから、おろそかにしていい訳がない
白木屋番頭「独慎俗語」
とかく目の前のことにばかり気を取られるから、客扱いが粗末になるのだ
白木屋番頭「独慎俗語」
人間にとって命ほど大切なものはない。この命を養うもとはお客様なのだから、そのご恩をよく心得ておくように
白木屋番頭「独慎俗語」
人間にとって命ほど大切なものはない。この命を養うもとはお客様なのだから、そのご恩をよく心得ておくように
白木屋番頭「独慎俗語」
商人の心得としては、まず小口のお客様をこそ大切にすることが肝心だ
白木屋番頭「独慎俗語」
店の名を汚すようなことはしないか、暖簾に傷がつくようなことはないか 白木屋番頭「独慎俗語」

