豪商からの伝言

江戸時代の近江商人に学ぶ顧客満足経営のビジネスモデル

江戸時代をふり返れば、21世紀が見える

銭屋五兵衛 4 世人の信を受くべし

江戸時代は、「士農工商」の身分制度が確立していた時代である。また、商人が力をつけ、武士や農民が衰えていく歴史でもある。だが、世の中を支配していたのは武士階級である。
そのような背景の中で、武士により「食い物」にされた豪商は枚挙に暇がない。
武士と商人の関係を赤裸々に綴ったのが三井の三代目・高房が見聞きしたことをまとめた「町人考見録」である。
「すべて大名方に出入りする町人には、富裕な時には大名はたくさんの扶持を与え、それで屋敷にしばりつけるが、その町人の身代が傾きはじめると、扶持や援助米も少なくなって、それもいつときなく取りやめになる。
つまり餌を与えて身代を釣るというやり方であるから、くれぐれも大名家からは扶持や援助米は受けないようにすべきである。
 この両替屋・善六も森家から扶持を得ていたため、家来の名目が立ったので、家来が主君を訴える法はなく、多額の貸決金はそのままにてなり、自身もそれを苦にして死んでしまった。
 なんと愚かなことではないか。武士は、計略を巡らして勝つことを第一としている。それが武士の勤めである。町人が適当なところを見計らって金を儲け、利益を得ようと思っても、武士は四民の頭で知謀兼備の役人であるから、町人の手の内はお見通しで、かえって裏をかき先手を取り、町人から適当に借金しておいて返済ことわりを申し出る。町人が竹槍で武士の真剣に対抗するようなもので相手にはならない」
 といったようなことが書かれている。
 
 加賀藩に、1兆円を超える御用金を納めた銭五が全財産を没収され、一族が処刑されたのは、
①河北潟干拓工事での投毒の嫌疑
②会津藩の山林買い占め事件
③密貿易に対する幕府追及の未然防止  
 
 が、理由ではなかったかと推測される。
 密貿易についても諸説あるが、勝海舟は「銭五が密貿易をやっていたのは、幕府も知っていた。だが、大目に見ていたのだ。それを加賀藩が処刑したのは、早計だった」と述懐している。
 
 銭五が無念の死を遂げたのは開国の7年前である。銭屋五兵衛は、武士の知謀に敗れた御用商人の典型的な人物であり、時代の犠牲者でもあった。
 
 銭屋五兵衛は、
 一、世人の信を受くべし
 一、機を見るに敏なるべし
 一、果敢勇断なるべし
を「商訓三カ条」として残している。

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