豪商からの伝言

江戸時代の近江商人に学ぶ顧客満足経営のビジネスモデル

江戸時代の豪商達

人の利するところにおいて、われも利する 伊藤次郎左衛門

 百貨店には、江戸時代に呉服屋として創業した店が少なくない。松坂屋も江戸初期に誕生した古い歴史を誇る百貨店である。
 業祖・伊藤源左衛門祐道の父・伊藤蘭丸祐広は、織田信長に仕えた織田三蘭丸の一人である。祐道も信長に仕えたが、「本能寺の変」で主君をなくしてしまう。二君に仕えることを潔しとせず、武士を捨てることを決意。清洲から名古屋に移り、呉服小間物問屋を開業したのが、店の始まりである。
 武士を捨てて商人の道を選んだ祐道だが、「大坂夏の陣」で豊臣方に参陣、武士としての最後を遂げた。すでに世の中の大勢は決まっており、祐道は覚悟の上での出陣だった。ちなみに、当主が次郎左衛門を名乗るようになったのは、祐道の遺児・祐基(2代)からである。
 その後、大火の後の誠実な商いをきっかけに店は発展を続け、4代・祐政の時に尾張徳川家御用所となった。
 8代将軍・吉宗が、「享保の改革」で倹約を進めている時、名古屋はかつてない賑わいを見せていた。尾張7代藩主・宗春が、藩主の贅沢は経済を刺激し、庶民の生活を豊かにするという「上の奢侈は下の助け」の考えのもとに景気振興策を取ったからである。
 その時代の当主5代・祐寿は、呉服小間物問屋から呉服太物小売商へと業態を転換。これを機会に「掟書」を定めた。「人の利するところにおいて、われも利する」哲学の商いと義の一致を求めた内容で、この「掟書」の思想は11代・祐恵の「家訓録」、14代祐昌の「信条」へと受け継がれ、松坂屋の経営理念の土台になっている。
 明和5年に制定された「家訓録」には、
一、公儀のご法度は厳守すること
一、お客様には丁寧に挨拶し差別しないこと一、お得意先に火事があったら、すぐに見舞いに行くこと
一、毎晩、売り上げ、在庫の確認をすること
一、早起きをすること
一、博打、女遊びは禁じること
一、毎日、神仏を拝むこと
 といったことが記され、顧客奉仕・顧客平等の理念を明らかにし、店員には質素倹約を求め、賭け事、遊芸を戒め、信仰心が大切なことを説いている。これを毎月、日を定めて全員が唱和し順守したという。
 「武士の商法」と言うとからかい半分で言われることが多いが、江戸時代の商人に「商人道」とも言うべき哲学があったのは、豪商の先祖が武士であった家が少なくないという背景と関連があると考えられる。
 「士魂商才」という言葉も死語に近くなってしまったが、いま私たちに求められているのは、この「士魂商才」の哲学ではないか。
伊藤次郎左衛門
業祖・伊藤源左衛門の死後、残された妻は店を閉じた。遺児・祐基が父の意思を継いで呉服小間物屋を開業したのは40年後のことである。だが、その店も開店50日で大火によって焼失し、松坂屋の前身「いとう呉服店」の出発点は多難であった。ところが、祐基はこれに屈せず仮店舗で営業を再開。衣服に困った人々に原価に近い値で商品を売った。この奉仕の精神は代々受け継がれ、後の松坂屋の繁栄の礎を築くことになる。写真は安藤広重の描いた松坂屋上野店。

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